神経鞘腫18〜退院後55日目〜
また紹介状を持って新しい病院へ。
今度の先生はどうだろな?
診察して今の状態からだとやはり手術が必要とのこと。
はぁ〜〜
わかってますけど、もうめんどうになってきた。
ただ、半年以内に手術する事で、動くようになる確率が上がるからその間様子を見てみようとのとこ。
月一での経過観察が始まりました。
筋肉が萎縮してきちゃうのと、関節が固まってきてしまうからと、簡単なリハビリ方法を教えてもらいました。
神経鞘腫17〜退院後48日目〜
今日は病院❷へ。
姉も仕事の為、退院後初めての1人での遠出。電車で1時間半かかる病院へ。
前回の病院の時にショルダーバッグで出かけてみたが、肩こりがひどく辛かったのでリュックに変更。
行きは順調。痛くなることもなく、乗換駅でのワッフルも買ってご機嫌。
病院に予約時間の30分前に到着。
待合室で椅子に座るとどっと疲れが…
とりあえず肩と腕ストレッチ。横になって時間まで待つ。
待つこと50分。だいぶ肩が楽になったので起き上がると先生が。
診察室へゴー。
次にどこの病院へ行くのかの話。紹介状を書いて貰い、また来週行くことになった。
正直、反応が微妙にかすかにありそうな私の肩と肘。先生もかなり悩んでいそうだった。
また詳しく病院❹で詳しく診てもらおう。
家から電車で2時間はかかる病気❹。遠いなぁ〜〜。
傷病手当の申請書を申し込んで帰る。
帰りは電車の接続がとてもよく1時間で帰ってこれた!素晴らしい!
でも満員電車は辛いね。体が痛い!
座りたい!
肩の筋肉がだいぶ落ちてきてしまっているから左右のバランスが崩れてきている。歪みというか。
肩から鎖骨、胸の上の方まで少し痺れがある。
筋肉が落ちたことで骨が出っ張り、床ずれのようになり、衣類の縫い目が痛いからラグランスリーブのものに変えた。
日々、ちょっとしたことが気になったりするけど、その時の感情で変化してしまうので、すぐに忘れたり…
なんかあったらメモするの習慣にしよう
神経鞘腫16〜手術後40日目〜
前日の夜から父親が発熱。
あーこれ、絶対インフルエンザ。
やっばい、、、。
朝起きて尋常じゃない汗に、母親が焦る。
その様子を見に行ってからキッチンへ行き水を飲もうとすると、目の前がチカチカ!
立っていられなくなる。しゃがみ込み急な吐き気! トイレで綺麗にリバース!
これに焦った母親が救急車を呼ぶ!
2人して搬送。
診察は父親がインフルエンザA型。私は陰性。
ほっ。
でも安心できないから予防投与のタミフル!
帰りのタクシーの中でも突然の吐き気!
つらい!
そこから1週間インフルエンザにかかるまいと母親と2人で父親を隔離した生活。おかげでうつらずに済んだ。
後々考えると、吐き気はこの間変えた薬のせいだと。のむと、痛みは治るものの、ふわふわして、もの凄い睡魔に襲われるアレだ。
病院に電話して夜寝る前だけ飲むように変更。
それだけで安心してのめるね。
神経鞘腫15〜手術後37日目〜
今日は手術をした先生の診察の日。
隔週でクリニック❶での診察に来ている先生。
すっご〜く混雑するので何時間も待たされる。
予約してるのにね。
1人でバスに乗り、駅で姉と合流。
慣れないショルダーバッグをする。肩がこる。
しかもすごく寒い日。病院に着きあまりの辛さにバッグを下ろして、ストレッチするも辛すぎて姉にマッサージしてもらう。
肩甲骨に沿ってぎゅっぎゅっとしてもらうと痛みも和らぐ。
そうしていると一番はじめに呼ばれた!
内心、そりゃそうだよね〜、ここの病院じゃ1番の重症者だもんね。と。
先生、前みたいに、ニヤニヤしてないな。
今飲んでる薬の効き目と、今後の話しはどうなっているのかと言う話をして。
薬は内容が少し変更。
ま、とりあえず信用してないから早く帰ろ。
あざしたー
で終了。
都心に初雪が降った今日。
寒いと本当に痛くて辛い。
帰りはパラパラ雨が。早足で帰ろう。
神経鞘腫14〜手術後34日目〜
今日の病院❸は乗り換えが一度だから助かる。
前回同様8:30に姉と合流。
父親に駅まで送ってもらう。
病院は最寄り駅からも近くかなり楽に着いた!
受付をして順番の番号の書いた紙をもらい、
どれくらい待つかなぁ?なんて話しているうちに30分程度で呼ばれた。
今日も先生は、うひゃひゃひゃって笑ってる。
完全に私と姉の中では完全にこぶ平だ。
笑える。
だからか診察がいつもなごむ。
和んでる場合じゃないのに。
筋電図というものをはじめる準備。
肩に長い針がか刺される!
姉がじーっと刺されるを見ていた。
すごー!自分は採血でも刺されるところ見れないのに、こんなにも深く刺される人を凝視できるなんて凄い。
いや、まぁ他人事だからだな。
痛みで仰け反る私。
反動で針が抜ける。
あー抜けちゃったよ。もう一度刺さないとダメだよー、と先生。
(白目)
あー死んだー。マジで痛い。ふぉー
なんだか適当な検査が終わって気がつけば1時間も経っていた。
この結果を踏まえて、大学病院の先生と、神経移植の得意な先生と3人で話し合いして決めるそうだ。
正直言えば、前回の診察後に家族会議で手術するっと宣言したが、その気持ちはかなりグラグラしたもだ。考えるとはなから、
痛いの嫌だ。
しか思わない。
手術直後の痛みが半端なくトラウマになっている。
あーん、今も思い出してつら〜い。
どうなっちゃうんだろうなぁ〜
この先、どうなっちゃうんだろうなぁ〜
痛いんだろうなぁ〜
神経鞘腫13〜手術後20日目〜
紹介状を持って、新しい病院❷へ。
受け付け時間に間に合うように8時30分に姉と待ち合わせ。
母は足が痛いため歩けないからお留守番。
父は仕事の為、駅までの送迎。
9時前のまだ通勤通学ラッシュの満員電車で向かう。
私の住んでる路線は、都内で1.2を争う混雑路線。
人にぶつかられたら最後。激しい痛みが走る。
冬の寒さで冷えて痛む。
最悪だ。
そんなこんなで、病院に到着。
問診票すら書けないので姉に代筆を頼む。
整形外科の看護師に言い渡された言葉は、
OO先生の診察は予約制なのでお待ちいただいて、15時30分からの診察になります。
今現在、11時。
4時間30分待ち。ディズニーか!
来る途中のサイゼリアで時間潰ししよう。と。
15時20分待ち合いに戻る。もう少しの我慢だなと、姉と話す。
が、
15時30分。呼ばれず。
16時。呼ばれず。
16時15分。呼ばれず。
16時30分。
ようやく呼ばれた。この時点でもうぐったり。
簡単にまとめると、手術が必要。
足の被覆神経を取って、それらを鎖骨上の切れている神経に移植。
今回の手術後よりもう15センチくらい切ることになる。
足は20センチ切るとのこと。
うぎゃーーーー!!
痛そ!!
それしか考えられませんでした…
今どれくらい神経が機能してるのか、筋電図の検査がしたいとのと。しかし、この病院にはそのよう設備がない為、また違う病院へ来て欲しいとのこと。
えーーー!!またかよ!!
もう何にも考えられませんでした。
ホワァ〜
(意識が遠く音)
またしても紹介状を書いて貰い帰宅。
診察終了が17:30
またしても帰宅ラッシュの時間をくぐり抜けなければ。
家に帰るまでが遠足です。
疲れたーーーー。
姉にも橋本病があるのであまり疲れさせてはならない為、乗換駅でタクシーに乗る。
あー快適!
もう病院行きたくないーー!!
神経鞘腫12〜手術後16日目〜
相変わらずの痛み。
痛み止めも効いているのはせいぜい4時間程。
朝昼夕の薬の合間でロキソニンを飲む。
夜も眠れず。痛み止めが切れたらまた飲んで寝るの繰り返し。
痛みと冷えに、腕全体と、肩に貼る5個のホッカイロ。
痛みが引く日は来るのだろうか?
一生、痛い日々を過ごすのかという不安。
そして何より、動くようになるのか??