神経鞘腫〜上腕神経叢麻痺〜

神経鞘腫〜上腕神経叢麻痺〜

神経鞘腫11〜退院〜

やーっと待ちに待った退院です!!

 

だがしかし、ここからまた大変な事が起きました。

 

 

 

両親と姉が迎えに来てくれて、片手しか使えない私に代わって荷物の整理や、着替えを手伝ってくれました。

とてもとても助かりました。

パジャマから洋服に着替えて嬉しい気分でした。

ルンルン!

 

主治医が退院の話と説明に来ました。

 

術後から母と姉のあいだでは、

なぜ手が動かなくなったのかの説明があやふやな事。

最初の説明から神経鞘腫という病名が一度も出てきた事がなかった事。

転院するのはこちらの希望でもない、病院側の都合なのに、なぜ本人が予約を取らなければいけないのか。

など色々と不信に思う事が沢山あり、とにかく質問責めの刑に処しました。

 

 

結果、術後直ぐには、神経を削ぐような形で腫瘍を取ったと言ったのに、この場では切りましたと言っていました。

 

 

がんの転移という可能性での検査をしていても、検査全てにおいてがん細胞が出なかった事で、違う病気を疑ったのか。その時に、神経鞘腫と言う予測は出来ていたのかという事を問い詰めていました。

 

主治医曰く、神経鞘腫の可能性を疑っていたて、整形外科にも相談していた。とのこと。

なら言えよ。聞いてないし。

 

私たちは、術前の診察では一言もその可能性を話てもらっていないと言うこと。なので神経鞘腫と言う言葉すら知らず、手術によって、どんな後遺症が出るかなども説明されていない。

 

そこが今回の件で1番引っかかっているところだ。

 

 

主治医は言わなかった事は謝ります。すみませんと…

ただ後遺症については、手術の同意書に書いてあると言いました。

 

しかし、同意書の病名は甲状腺がんの転移についての手術のものだ。神経鞘腫のことではない。

 

 

 

 

そういったお互いの食い違いから、私たちは主治医を信用する事は諦めた。

 

 

 

 

転移した先での治療に専念しよう。私はそう思った。

月に一度は薬を貰うために主治医に会わなくてはならないがもう何も言うまい。と。

 

 

 

 

神経鞘腫⑩〜入院8日目〜

朝の8時、予約の開始時刻になり早速、電話をしました。

 

結果、予約はいっぱいなので予約なしで直接お越しください。ただし予約患者の合間や、終了後なので何時間待つとかの保証はないとのこと。

 

はい、泣きそうになりました。

 

 

なぜ私は別に自分でしなくてもいい予約の電話をして、こんなぶっきらぼうな電話対応をされて、挙句の果てに、紹介状があるなら今から言う番号にお掛け直しくださいとのこと。

 

私左手で電話をしていて右手は死んでいて、メモなんて取れません!!

と涙ながらに話しました。

電話越しでもわかる私の様子に、ハッとした感じが伝わって来ました。

大丈夫ですので、医師に確認しておきますから直接お越しください。お大事してください。

 

と電話が終わりました。

 

 

 

はあ、なんでこんな状態なの?なんで動かないし、何もしなければ動くようにならないって。など色々考えていると悲しくなりました。

 

神経鞘腫⑨〜入院7日目〜

この日もなんの検査もない暇な時間を過ごしていました。

 

ただ、夜になり慌ただしくなりました。

 

 

 

外科の主治医と、整形外科の先生との3者でのお話。

 

 

今回の手術で腕が動かなくなった事に関してのこれからの治療方針のお話。

なんだか自分が思っていたのよりも重い感じの話です。

 

動かないということはなんらかの神経が損傷しているか断裂しているかとのことで、末梢神経に詳しい先生がいる系列の大学病院に転院するとの事。

ただし、その先生は各週の水曜日の午後しか来ていないので電話で予約を取れとのこと。

 

 

ひたすら手術の写真やデータを観て悩んでいるは二人。うーんとか、んー、とか言葉を選んでいる時間が長いこと長いこと。

 

まぁとにかく、こちらの大学病院で観るのは限界があるということですね。

私の仕事の内容などを聞かれ、かなり特殊な技術職なため、あちゃーって感じの2人。

病室に戻り冷静になり、

 

 

 

 

 

っざけんなよ!!

 

 

なんでそっちがした手術の治療方針の変更で私が自ら予約の電話しなきゃならないんだよ!

医師同士でなんとかせい!!

 

薄々は気づいていたけど、このまま何もせず経過観察しても、腕は動くようになる保証もないということ。いや、むしろ動かない人生を送るっていうこと。そんな大事なことなのにヘラヘラ笑いながら話す医師。もう、

 

クソが!!

 

ですよ。

 

 

早速母親への連絡。

 

かなりの動揺。それもそのはず、術後、医師から、

 

神経を触っているから少しの間腕が動かないかもしれないが徐々に動くようになるとの説明をされて、信用していたのです。

まさかの動かないから転院しろ。には驚きを隠しきれていませんでした。

 

はぁ、明日起きたら、予約の電話しにいこう。そう思い、眠りにつきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神経鞘腫⑦〜入院5日目〜

この日もなんの検査もなくボーっと過ごした。

 

部屋の移動があり、移動先の部屋が大変すぎで…

 

部屋には私ともう一人の方しかいないのだが、その方が移動早々インフルエンザの疑い有りの状態で、検査の結果待ちとのこと。

 

えーーー、マジっすか。

インフルエンザって移りますよね?

結構な勢いで咳してますよねー。

あーあ。 部屋移動したくなかった!こうなるとわかってたら拒否すること出来たよね?  

そもそもインフルエンザって簡単に検査結果出るよね?何時間経ってんだ?

 

んぁ!また咳したぁ!!

 

 

てな感じで、いても経ってもいられなくなり、看護師さんに相談。

 

カーテンで密閉していれば移りませんよ。ってはぁ?

そんなにカーテン信じてるんか⁈

上空いてんぞ!

 

ってまたイライラしているところに、ようやく陰性との通知が。

んもーーっ。焦らせんなよ!

こっちは右手痺れて痛くて動かないんだよ!咳なんてしたらさ振動で痛くてかなわんよ。

おい!

 

 

そんなこんなで1日が終わりました。

 

 

 

 

 

神経鞘腫⑥〜入院4日目〜

腫瘍を取った傷跡は痛みもなく順調でした。

 

その日はが検査もなく一日中寝て起きて、コンビニで物色して食べての繰り返しでした。

 

あ、リハビリは始まったかな。

リハビリ科のスタッフが来てくれて軽く運動しました。

 

1番困ったのは、シャワーを浴びること。

 

片手でボタンを外して脱いで、頭をあらうのも、ボディソープをあけるのも、顔を洗うのも全てが大変。

一苦労でした。

それらを30分で済ませることはかなり困難だったので、退院までシャワーは浴びずに過ごしましたw

 

 

神経鞘腫⑤〜入院3日目❷〜

朝食が終わり、10時に病棟の病室に移りました。

窓が大きい部屋のせいか右腕がが寒さでとても痛みました。

持っていたホッカイロを肩から腕全体に貼れるだけ貼りました。

売店へホッカイロを買いに行く途中、母親に電話をしました。 

 

 

右腕が動かないの、なんでだ?

 うん。少しずつ動くようになるからリハビリ頑張ろう。

うん。寒すぎてホッカイロをいっぱい貼ったよ。これからまた、買いに行くんだ。

うん。そうか、今日行こうか?行けるよ。夜ならお父さん帰ってきてその足で。

ううん。大丈夫。ただ寝てるだけだから、

土曜日でいいよ。またね。

 

 

午後には整形外科の先生がきたり、リハビリ科の先生にがきたりしました。

 

 

その夜、MRIの検査が夜の7時からあり、1時間かかりました。疲れて病室に戻ると、父親が立っていました。カーテンを開けると母親もいました。

 

寒い寒い言っていたわたしに、沢山の暖かいパジャマや下着、パーカーなど色々買って持ってきてきてくれました。

 

初めて腕が動かない状態を見た母親は辛そうな顔をしていました。二人が帰りあったかいものに包まれたわたしは迷惑をかけて申し訳ないきもちでした。